パニック障害から社会復帰するまでの軌跡

社会人3年目のポンコツが社会復帰を目指すブログ

好きな歌(マスミサイル編)

私は泥臭い歌が好きだ。泥臭い生き方も好きだし、泥臭い人間が好きだ。

人間はプライドも当然存在する。ただ、それは幻想だ。人間の本質ではない。

私は大勢の会食が苦手だ。広く浅い付き合いが求められるからだ。

そんなものより、誰でもいい、何時間もその人の本心を知りたいし、自分という人間を知ってもらいたい。

そのうえでお互い相いれない存在であれば、それまでのことだ。

だが、それを乗り越え、互いを深く知りえた関係というものはもはや友情といっても過言ではないだろう。

 

ここでいったん私事を挟ませていただきたい。

昨年夏ごろから再度体調が悪化し、再び休職に至ってしまっている。

今回は前回ほど深刻な症状ではなく、1か月ほどしたらだいぶ楽になっている。

現在は再発防止のために様々な策を練っているところだ。

 

話は戻ろう。私は泥臭い歌が好きだ。もちろん他の音楽も好きなものは好きだ。

では、本当に好きな歌の共通項として何があるだろう?と考えたとき、

バンドマンとしての覚悟が表現された曲になると考えた。

ここは言語化できないが、要は魂を感じ取った曲となるのであろう。

 

ここまで話しておいて、照会せずにはいられないバンドがある。

ぜひ興味があればYoutubeなどで聞いてみてほしい。

 

ザ・マスミサイルの「教科書」という歌だ。

歌詞一つ一つに熱くなる前に、ざっとバンドの来歴を紹介したい。

2000年中頃、青春パンクブームの波に乗じて、「今まで何度も」という曲で、

NARUTOのEDを担当したこともある、一度は売れたバンドだ。

その後はブームの波が去り、メジャーレーベルからの解約となった。

その後もメンバーの入れ替わりなどもありながらも、2010年半ば、

再度メジャーレーベルからのオファーを勝ち取る。

ドラマのタイアップなどもあったが、その後はまた振るわず、

二度目のメジャー落ちを経験するも、現在も精力的にライブをこなす、

「決して諦めない」泥臭いバンドだ。

彼らの人生そのものが曲にも反映されていることがよくわかる。

 

さて、本題の「教科書」について自分なりの解釈を書き連ねていきたい。

しかしその前に、私とこの曲「教科書」の出会いを書かなければ本題に入れない。

私とこの曲が出会ったのは、今から10年以上前、中学1年生のころだった。

小学校6年生の時には反抗期で担任を交代させるまで追い込んでしまった経験もある。

そのような状態で入学した中学は閉鎖的で楽しいものではなかった。

周囲ともあまりなじめず、部活も面白いものではなく、ただただ日々を過ごすだけの何の取り柄もない少年だった私は、この曲に人生観を変えられた。

この曲を一言で表すならば、

“教科書通りの生き方なんかしないで、自分の心が持っている教科書に従って生きてみろ”

ということである。

以下、歌詞にしたがって私なりの解釈を書き連ねていきたい。

 

誰かが推奨した 誰かがお勧めをした

あなたが大切に持ってるその教科書をみせてみろ

何々「もう泣かないで」

何々「弱音吐かないで」

俺ならもう少し無様に人間らしく生きたいわ

 

開始10秒でやられてしまうようなパンチワードだ。

そもそも人間というものは一人ひとりバックグラウンドも違えば、個性も違う。

当然だ。その人間たちに一律の教科書を用いて指導をしていくことに

違和感を感じない人はいないのであろうか。

(ここは反論の余地があると思いますが、後ほど解決しますのでありからず)

 

そして、人間とは外面だけよくしていても、いつかパンクしてしまうことが

暗喩されていると考える。

内面を、弱い部分をさらけ出してこそ、本当の人間らしさなのではないだろうか。

 

※あゝ負けたらリベンジだ あゝ泣いてもまた笑う

おかたい本には載ってはいないこと

あゝ弱音も吐きまくる あゝ見事に振り返る

弱い姿 振り向いた顔 全部見てあげる※

 

当然ながら教科書にはそんなもの書いてあるはずがない。

だが、人間として生きていくうえで、教科書に書いてあることを実用する以上に、

こうした処世術といったもののほうが、使いどころは多いのではなかろうか。

 

人から好かれたくて

やっぱ人気者でありたくて

言いたい事やテンションの低さを隠す君は最高だ

言ったら煙たがられる

だけどそれでも正しい事

そいつを悩んで苦しんで言っちゃう君も最高だ

ちょっと無理に笑ってるだけ

言いたい事も言ってるだけ

「楽しそうだね」そう言われる事にしがみついてるだけ

別にたいした事ではない

むしろたいした奴ではない

だけど心配されて慰められるほど小さくはない

 

プライドと他者からの視点に葛藤を覚えるフレーズが並んでいる。

だが、ここででてきている「君」は類推するに日が持たずにつぶれてしまうだろう。

ちょっとした無理の積み重ねが破綻を招いてしまうことは私が経験している。

 

あゝ負けたらリベンジだ

あゝ泣いてもまた笑う

おかたい本には載ってはいないこと

あゝ弱音も吐きまくる

あゝ見事に振り返る

いったい何をびびってるんだ 君の人生だ

 

そうだ。君の人生だ。僕の人生だ。誰に決められるものでもない。

人生の主導権は他の人(相対的価値観)ではなく、自分(絶対的価値観)なのだ。

極論、好きに生きればいいのだ。

 

頻出英単語より

歴史の大切な流れより

君が感情のままに書きなぐった文章の方がいい

人間らしく生きてる

死ぬまでは生きようとしてる

君にそんな安っぽい教科書なんかは必要ないでしょ

 

ここは語弊があるので先に訂正しておく。基礎学力の構築を否定するものではない。

基礎学力の養成と、「人間としての自我の構築」

どちらに比重を置くべきかという点に警鐘を鳴らしているものだと私はとらえている。

そして、人間は死ぬまで人間なのだ。たかだか1cmの教科書冊子なんかより、はるかに人生について考えることのほうが重要だ。

 

 

泣き方1つとっても

笑い方1つとっても

誰かに教わった訳じゃないんでしょ

オリジナルでしょ

人間らしく生きてる

死ぬまでは生きようとしてる

君にそんな安っぽい教科書なんかは必要ないでしょ

何にも読まなくていい

あなたが眺めてる景色の方がもっと素晴らしい

何にも読まなくていい

勉強放棄する訳じゃないんだよ

そうわかるでしょ

 

上記で散々否定してきたが、ついに歌詞にも記載されている。

勉強(教科書通りの)を放棄するのではない。

今自分の周りにいる人、モノ、景色、音楽、すべてが自分の教科書なのである。

 

バイバイ バイバイ さよなら教科書よ

もう少しだけ人間らしく生きさせてくれないか

バイバイ バイバイ 僕らのこの教科書はまとめも考察もない

泣き方1つとっても 笑い方1つとっても

誰かに教わった訳じゃないんでしょ オリジナルでしょ

人間らしく生きてる 死ぬまでは生きようとしてる

君にそんな安っぽい教科書なんかは必要ないでしょ

君にマニュアルどうりの教科書なんかは必要ないでしょ

 

歌詞の締めくくりとなる一節。

今壁にぶつかっているすべての人々を応援する歌詞だ。

人間関係で悩んでいる者、職場で悩んでいる者、試験に受からず苦悩する者。

みな、ほかの誰でもない自分なのだ。オリジナルの人間だ。

壁にぶつかった時、人は大きく自己肯定感を失うことが往々してあるだろう。

そのとき、この歌を思い出していただけると幸いだ。

きっとあなたの背中を押してくれるでしょう。わたしもその一人だ。

 

※参考

https://youtu.be/rD-7eRFvaUs